サスティナブルな活動紹介

●NPO法人境を越えて 副理事長 本間里美

 「もう、来ないでくれ」これは私が訪問理学療法士として働き始めた時、ある患者さんから言われた言葉です。今振り返ると理由は明白で、回復期病棟で行っていたリハビリスタイルをそのまま地域に暮らす当事者の方に押し付けていたためでした。患者さんはみんなもっとよくなりたいと思うのが当たり前だと思っていた当時の私には目が点になるほどの出来事でした。
 私は現在、ALS当事者の岡部宏生と共に立ち上げたNPO法人境を越えてで活動し、訪問理学療法士としての関わりを続けています。NPO法人境を越えては、重度に障害を持った当事者とその家族が地域でその人らしい生活を送れるしくみをつくることをmissionとし活動しています。障がいや疾病の枠を越えた共通の課題である介助者不足解消を念頭においた団体です。2019年に設立し、今年で4年目を迎えます。「知ってもらう」「育てる」「繋がる」の3つの柱で7つのプロジェクトを実施しています。特に主軸活動となっているカリキュラム化プロジェクトは、地域包括ケアシステムの実現(2025年目標)に不足している在宅医療・福祉の充実に貢献できる人材の土台形成を目的とし、地域で暮らす当事者の生き方とその支援者の関わりを実体験を持って理解できるカリキュラムの単位化を目指しています。5日間の短期集中講座で、重度障がい当事者が地域で暮らすための土台となる医療者の役割やその当事者の生き方をサポートする介助者の視点を学ぶことができます。重度障がい当事者、介助者、現役の医療職が講師となり、当事者宅での介助体験が2日間もり込まれています。日本財団の助成を受け3か年計画で実施しており、モデル事業の段階で2校の大学での単位化が決定しました。
 また、「育てる」の活動の一つとし「福祉力養成講座」をオンラインで開講しています。地域で暮らす当事者、家族、支える支援者誰もが一緒にをコンセプトとし、疾患理解(学び)と事例検討(対応)の視点で構成しています。講師陣は、地域で暮らす重度身体障がい当事者、病院や在宅で重度障がい者に深く関わる医師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師で構成し、その疾患を深く学べる講座から人工呼吸器等のしくみなどを学べる講座があります。昨年実施したALS・SMA・筋ジストロフィーを深く学ぼうシリーズでは延べ135名の方のご参加がありました。
 このような活動を通し、私は理学療法士の職域の広さを感じずにはいられません。同時にコロナ禍の影響で障害の有無に関わらずオンラインの重要性が一気に加速し、理学療法士はさらに広い視野で自らの役割や立ち位置を見ていく必要があると感じています。皆様は、「OriHime」をご存じでしょうか?障がいの有無にかかわらず、その場にいくことができない人のもう一つの身体として機能する分身ロボットです。同じ空間にいるためにはそこに行かなければならない!という常識を覆したこのOriHimeのような考え方は、これからの世の中の主流になってくるのだと感じます。理学療法士という仕事の一番の強みはその人の生き方を理解し、専門性を活かした最善の関わりができることであると思っており、関わり方の多様性はいくらでも広がるとも。「できる」を増やすことによって、人間は未来に対してポジティブになれる、というコンセプトのオリヒメと理学療法士がコラボしたら?を一緒に考えてみませんか??

●船橋整形外科 地域医療推進室 室長

船橋市議会議員  岡田 亨
持続可能性への「かぎ」

 母校の山岡先生から『持続可能な理学療法』の原稿依頼。安請け合いに『いいですよ』とお返事した。でもSDGsを一時的にカッコに入れている自分に気づいた。なぜ?それは、持続可能性は元来理学療法士の専売特許だと思う自分がいたからだ。
 観血的加療や投薬を行う術のない我々は、知識と技術をブリコラージュ(クロード・レヴィ=ストロース;野生の思考)して対象の持続可能性にチャレンジを続けている!
 パラリンピックの父、ストーク・マンデビル病院のグットマン博士の「失ったものを数えず、残されたものを最大限に生かせ」という言葉を体現しているのは理学療法士自身なのだと…。
 なんか、嫌なおやじですね。
 改心して端緒となったローマ・クラブの「成長の限界」を再読しました。
 事の始まりは1972年なのである。この年に初の国連人間環境会議【ONLY ONE EARTH】がストックホルムで開催。これに合わせるようにこのレポートは上梓され、人口、食糧生産、工業化、汚染、再生不可能な天然資源の消費の五つの要素で世界モデルを構築・分析し、世界の成長の限界と人類に対する調和への転回の提言がなされている。現在「地球サミット」として開催を重ね、2001年にMDGsが2015年にSDGsが定められた。
 私が敬愛するホセムヒカ元大統が「人類が幸福であるために何をすべきか」と問いかけた名スピーチは2012年のリオ+20。
 のちに「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」が日本でも書籍化されましたね。
 しかし1972年(昭和47年)のストックホルム宣言からすでに半世紀なのです。持続可能な未来とは何か、そのために何をカッコに入れるべきかと問われて50年以上。
 世界は「わかっちゃいるけど…」とこの意識をカッコに入れてしまっているのではないか?近代におけるひとつの共同幻想(吉本隆明;共同幻想論)かも…。
 でも私もあれやこれやで耳が痛い。
 理学療法士的には「予後予測をして無理しない様丁寧に説明し、サインまでもらった患者が案の定、悪化して再来した」様な気分かも知れない。
 閑話休題
 悲観している場合ではない。逆立的に、『どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間だけが政治への「天職」を持つ。』と、著作「職業としての政治」でマックス・ヴェーバーが主張するように、我々も世界の幸福とは何かを、世の中の現状や思惑の中でも「それにもかかわらず!」と個々人が向き合う腹のくくりの時が、崖っぷちに立たされたのではないだろうか。
 紙面の都合上そろそろ本題に入らないと山岡先生の指摘が…
 では、持続可能な理学療法について述べてみたいと思います。
 先のとおり、理学療法士はまさに持続可能性を探求していると個人的に考えている。今後は、理学療法自体よりむしろ、その担い手や手法が様々に変化するであろう。対象者の看護・介護者や家族はもとより近年はロボットも現実味を帯びて来た。治療機器の技術革新もめまぐるしい。かんじんなことは療法士の持続可能性ではないだろうか。
 理学療法の知識と技術で一人ひとりが持続可能性の為に社会や世界にどう向き合うのか、その『天職』を授かるために。
 超高齢社会先進国日本の社会が療法士を必要とするのは当然だが、現状は厳しいと言わざるを得ない。資本論的構造の影響も見え隠れ?するが、これはまたの機会に。
 今後の人口減少到来を受け止め、子供の身体機能の習熟とその持続可能性を引き出し支援する事は、国が掲げる2035年健康先進国日本にとって重要な社会課題と言える。そこで我々として、理学・作業療法士法、第二条の【障害のある者に対し】という法的な限定を、例えば【人々が持続可能な健康な人生を過ごすために必要とする動作能及び社会適能力の】云々と転回する働きがけが、再度必要ではないだろうか。さらに踏み込めば、これは国内ではなく世界的にリハビリテーションと理学療法の定義や概念を、見据えるべき、成長の限界に対する時間・空間に広げた視野へ転回すべきだと考えている。
 すみませんが…もう一つだけ、職業について。
 SDGsはそもそも成長から均衡への転回なのである。職業としての理学療法士をどう考えるべきか。
 雑駁な提案だが、カギはやはり転回ではないか?つまり療法士の職業価値を経済性と社会的地位に求めることから共同体の一員として、その『天職』を授かる事へと転回する。職場、臨床場面に留まらず、家庭はもちろん地域やコミュニティーにおいて理学療法という強みを持った、資格・名称独占ではなく理学療法士という人格として社会に踏み込んで行く。表現は難しいのですが…それによってこそ我々は理学療法士の『天職』『理学療法士としての幸福が』が授かれるのではないだろうか。そんな発想はいかがですか?…
 むずかしい?意味が分からない?
 まぁそうですよね…
 ぜひ一度皆さんで話し合ってみたいと、今、その思いが沸き起こっています。
 成長の限界に立ち向かうための重要な「かぎ」を理学療法士達は握っていると私は直観しているのです。